fujita - portrait

藤田嗣治

(1886~1968年)

現代の日本人画家レオナール・ツグハル・フジタ(藤田嗣治)は、20世紀の前衛美術絵画を代表する人物です。日本に生まれ、フランスに生きた彼は、その作品の中で東洋の繊細さと洗練に現代西洋美術の大胆さを融合させました。

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作品の勉強

foujita - madonnas art newsletter comes to you 8

アストリッド・ド・モンテヴェルデによるフジタのマドンナの分析

現代日本画家の若き日

レオナール・ツグハル・フジタ(藤田嗣治)は、画家、素描家、彫刻師、イラストレーター、陶芸家、写真家、陶芸家、デザイナーとさまざまな肩書を持つ多才な芸術家です。東京で生まれた彼は、小学校時代からフランス語の授業を受けていました。1907年より伝統的な日本絵画を学び、その後東京芸術学校(現在の東京芸術大学)の西洋画科に入学し、1910年に卒業します。フジタはこう語っています。「私のことを日本で一番の画家になるだろうと予言する者もいましたが、私が望んでいたのはパリで一番の画家になることでした。そのためには実際にパリを知る必要がありました」

ツグハル・フジタとパリ時代

1913年フジタはパリへと赴き、到着してすぐにパブロ・ピカソに出会います。ピカソのアトリエで見たキュビズムの構図とアンリ(ドゥアニエ)・ルソーの絵画作品は、彼を前衛芸術の世界へと引き込みます。そしてサロン・ドートンヌ(秋季展)の訪問は、彼の芸術観念を揺るがす衝撃となりました。彼はまたルーブル美術館を頻繁に訪れ、作品を複写しながらヨーロッパ芸術に深く傾倒していきます。また彼はパリの地で、アンドレ・ドアン、モーリス・ド・ヴラマンク、フアン・グリス、フェルナン・レジェ、アンリ・マチス、アメデオ・モディリアーニ、ジュール・パスキン、シャイム・スーティンなど、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家たちと親密な関係を築きました。1914年にはロンドンに短期間滞在し、その後パリの友人であるスーティンやモディリアーニのもとに戻ります。1917年にジョルジュ・シェロンのギャラリーで開かれたフジタの初の個展は大成功を収め、そこで披露された110もの水彩画には、ピカソも感嘆したといいます。

ツグハル・フジタは裸体の描写を始めます。幾人ものモデルたちが彼に着想の力を与えましたが、その中でも彼のお気に入りは“モンパルナスのキキ”でした。彼女の美しさはあの有名な『寝室の裸婦キキ』(Nu couché à la toile de Jouy :パリ市立近代美術館所蔵)で堪能することができるでしょう。物憂いオダリスクの雰囲気で描かれたキキの裸体は1922年のサロン・ドトーンヌでセンセーションを巻き起こしました。「私は西洋人が描くような裸体を初めて描いた日本人画家となった」とこの時フジタは述べています。

1918年、詩人であり画商でもあったポーランド人レオポルド・ズボロウスキーは戦争を避けるために、スーティーン、モディリアーニとその妻のジャンヌ・エビュテルヌ、そしてフジタとその妻のフェルナンド・バレエをカーニュに移住させます。カーニュでの生活は、ふたりの友人と夏の間ずっと絵を描き続けるという意義の深い時期となりました。フジタはそこで逝去直前のオーギュスト・ルノワールにも出会っています。1919年、画家フジタは大戦後初めて開かれたサロン・ドトーンヌに出展します。彼の作品は正式に認められることになり、彼はパリで最も人気の高い肖像画家となりました。この時期に彼は、その後画家としての生涯において頻繁に描いていくになるテーマを深く追求していきます。裸体、猫、自画像、静物画…。このようにフジタが同じテーマを繰り返し使うのは、彼が親しんだ日本の版画の伝統に由来するものでしょう。テーマのさまざまな表現での展開は、普遍的な探求でした。

フジタの成功の鍵は、彼自身を西洋と東洋の境界線に位置づけるその独創的なスタイルにありました。彼の主題は、簡素にそして細密に、自らが作り出したアイボリーカラーの地の上に描かれ、この背景こそが黒い細線や、透明で軽い油絵の具による色彩を美しく引き立てました。

世界的な名声を得た日本人画家ツグハル・フジタ

1921年、彼はイタリアを旅します。彼は特にシスティーナ礼拝堂で見たミケランジェロの作品に大きな感銘を受け、この感動が裸体の表現に影響を与えることになります。1922年、フェルナンドはフジタのもとを離れ、一方で彼はリュシー・バドゥに出会います。その肌の白さから彼はリュシーを“お雪”と呼ぶようになります。彼女はフジタのミューズとなっただけではなく、モンパルナスの芸術サークルにおいても花形女性となりました。1925年、フジタにはレジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエ賞が授けられ、その4年後の1929年にはお雪と一緒に日本に帰国しますが、詩人のロベール・デスノスと付き合うために彼女はフジタと別れます。フジタはこの時日本で寵児として迎えられ、日本で催された展覧会は大成功を収めます。「日本の筆で西洋画を描くことも、そして水彩の具を油絵の具の上に重ねて描くことも禁止されてはいない。私はそれを技術的に行うことに成功した。学校で習ったことは結局私は忘れてしまったのだ」

日本人画家ツグハル・フジタは1931年から2年間、そのモデルであり、新しい恋人となったマドレーヌ・ルクーとともに中南米を旅します。その後ふたりは1934年に東京を訪れ、フジタは日動画廊や二科展にていくつかの展覧会を企画しますが、そんな中、1936年にマドレーヌは東京にて急逝します。フジタは1939年パリへ再び渡り、1940年ドイツ軍が侵攻する1940年5月まで滞在し、その後また日本へ戻ります。そして1949年にニューヨークへ渡り、まもなく彼の最後の妻となる君代もこの街へと向かいます。フジタはクモールギャラリーで展示を行い、またブルックリン美術学校にて教鞭を執りました。1950年、君代とともにパリに戻ると、フジタは再びモンパルナスに居を構えます。当時の彼の画商は主に、ポール・ペトリデス、ロマネ&ジャンヌ・ジャリージュ‐ベルナールでした。彼らはフジタのためにアルジェリア、モロッコ、スペインで展覧会を企画しました。1955年、フジタはフランス国籍を取得します。

1959年、画家ツグハル・フジタはカトリックへ改宗し、洗礼名に“レオナール”を選びます。それはレオナルド・ダ・ヴィンチの芸術に対する情熱をも想起する名前でした。フジタは早い時期から宗教芸術に興味を抱き、西洋画を学び、その根源にあるローマ、ギリシャ、さらには古代の近東についても知識を深めていきますが、さらにヨーロッパを旅する中でさまざまな宗教芸術に触れ、宗教の図像学を完璧に把握していました。1964年、レオナール・ツグハル・フジタはランスのフジタ礼拝堂とも呼ばれたノートル・ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂(平和の聖母礼拝堂)の装飾を行うことを決めます。彼にとって最後の大きな仕事は、ランス出身の建築家モーリス・クロジエとともに取り組んだこの礼拝堂のフレスコ画でした。

レオナール・ツグハル・フジタは1968年1月29日、チューリッヒにてその生涯の幕を閉じます。この現代日本人画家の作品が、彼に代わってこう述べます。「私は自分の絵画について話すのは好きではない。なぜなら、私たち人間の人生はとても短い。永遠に語り続けることができるのは、作品の方なのだ」

© Diane de Polignac Gallery

tsugouharu fujita - pohotographie dans son atelier

コレクション(その一部をご紹介します)

コレクション(その一部をご紹介します)

Aix-les-Bains, Musée Faure

Grenoble, Musée des beaux-arts

Le Havre, Musées des beaux-arts

Nîmes, Musées des beaux-arts

Paris, Musée National d’Art moderne, Centre Pompidou

Paris, Musée d’Art Moderne de Paris

Reims, Musée des beaux-arts

Strasbourg, Musée d’Art moderne et contemporain

Villiers-le-Bâcle, Maison-atelier Foujita

Tokyo, Meguro Art Museum

Tokyo, National Modern Art Museum

展覧会(その一部をご紹介します)

展覧会(その一部をご紹介します)

Exposition Universelle de Paris (Paris World exhibition), Japan pavilion, 1900

13th Salon of the White Horse (Hakuba kai), Tokyo, 1910

Galerie Georges Chéron, Paris, 1917 (1st solo show), 1918, 1919, 1924, 1932

Salon Nika, Tokyo, 1917, 1934-1938, 1940

Galerie Devambez, Paris, 1918

Salon d’Automne, Paris, 1919-1924, 1926, 1950

Cercle Royal artistique et littéraire, Anvers, Sélection group exhibition, 1919

Salon des Indépendants, Paris, 1920, 1922, 1923, 1950

Galerie Constant Lepoutre, Paris, 1920

Foujita, Galerie Sélection, Brussels, 1920, 1921

First Annual International Exhibition Watertercolors, Chicago, 1921

Salon Teiten, Tokyo, 1922, 1924

Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts, Japanese art exhibition, Paris, 1922, 1923

Salon des Tuileries, Paris, 1923-1925

Galerie Le Centaure, Brussels, 1922, 1924

Galerie Katia Granoff, Paris, 1927

Galerie Bernheim-Jeune, Paris, 1928

Salon des artistes japonais à Paris, Galerie La Renaissance, Paris, 1929

Reinhardt Gallery, New York, 1930

Palace Hotel, Rio de Janeiro, solo show, 1930

Hall d’exposition, Sao Paulo, solo show, 1932

Nichido Gallery, Tokyo, 1934-1938, 1967, 1968

Museum of fine arts, Tokyo, Mexican period exhibition, 1934

Kennedy Gallery, New York, 1947

Manhattan Gallery, New York, 1947

Exhibition of Japanese modern art, National Museum, Tokyo, 1948

Shiseido Gallery, Tokyo, solo show, 1948

Foujita Recent Paintings and drawings, Mathias Komor Gallery, New York, 1949

Galerie Paul Pétridès, Paris, series of solo shows, 1950, 1952, 1954, 1956, 1958, 1960, 1962, 1964

Galerie Romanet, Alger, 1950, 1951, 1953 and in Paris, 1975

Marlborough Fine Art Limited, London, solo show, 1950

Círculo de bellas artes, Madrid, solo show, 1951

Galeria Alonso, Bilbao, 1953

God Konst Gallery, Göteborg, Sweden, 1953

Bridgestone Museum, Tokyo, 1955

Mostra di arte sacra, Trieste, 1961

Fujikawa Gallery, Osaka, 1965

Les Années 25, Art Déco/ Bauhaus/ Stijl/ Esprit nouveau, Musée des Arts Décoratifs, Paris, 1966

Yamato Bunkakan Museum, Nara, western art exhibition in Japan, 1966

150 years of Western painting in Japan, Museum of Modern Art, Kanagawa, 1966

Autour du Cubisme, Galerie Jean-Claude Bellier, Paris, 1967

Hirano Museum, Akita, 1967

Saikodo Gallery, Tokyo, 1967

Tribute to Leonardo Foujita, Tokyo City Museum, Kyoto City Museum, 1968

Hirano Museum, Akita, 80 artworks by Foujita from the Masayoshi Hirano collection, 1977

Foujita, centenary of his birth, travelling exhibition in Japan: Tokyo, Osaka, Kyoto, Hiroshima, Fukuoka, 1986

Léonard Foujita, Musée de Montmartre, Paris, 1987

Léonard Foujita, Tokyo Metropolitan Teien Art Museum, 1988-1989

Foujita, Galerie John Sayegh, Paris, 1989

Desnos, Foujita et Youki, un amour surréaliste, Musée du Montparnasse, Paris, 2001

Foujita, le maître de Montparnasse, Palais des Arts, Dinard, 2004

Foujita entre Oriente y Occidente, travelling exhibition in Spain, 2005

Léonard Foujita, traveling exhibition in Japan, 2008

Foujita et ses amis du Montparnasse, Château de Chamerolles, 2010

Foujita et Zadkine, Musée Zadkine, Les Arques (France), 2013

Foujita, Centenary of her arrival in Paris, traveling exhibition in Japan, 2014

Foujita and the great adventure of Montparnasse, Pouchkine Museum, Moscow, 2015

Léonard Foujita and his models, traveling exhibition in Japan, 2016

Foujita-Peindre dans les Années Folles, Musée Maillol, Paris, 2018

このアーティストに関する著作(一部をご紹介します)

このアーティストに関する著作(一部をご紹介します)

Michel-Gabriel Vaucaire, Foujita, Paris, Éditions G. Crès et Cie, with 32 illustrations, 1925

Paul Morand et Charles-Albert Cingria, Foujita, 6th title of the collection « Les Maîtres nouveaux », Paris, Éditions des Chroniques du jour, 1928

Sylvie et Dominique Buisson, Léonard-Tsuguharu FOUJITA, Catalogue général de l’œuvre, volume 1, Paris, ACR Éditions, 1987

Lydia Harambourg, L’Ecole De Paris, 1945-1965 : Dictionnaire Des Peintres, Lausanne, Ides et Calendes, 1993

Sylvie Buisson, Léonard-Tsuguharu FOUJITA, Catalogue général de l’œuvre, volume 2, Paris, ACR Éditions, 2001

Sylvie Buisson, FOUJITA INÉDITS, Catalogue général de l’œuvre, volume 3, Paris, Éditions Fondation Nichido, Archives artistiques À l’encre rouge, 2007

Sylvie Buisson, Anne Le Diberder, Caroline Boivineau and Al., Foujita : Peindre dans les années folles, exhibition catalogue, Brussels, Éditions Fonds Mercator, 2018

Faq 藤田嗣治

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